没頭するゲージツおじさん

 年の瀬がせまってきた。2023年もたくさんの展覧会に出かけられたが、印象的な企画の中に、日本のゲージツおじさんの「節目年」展覧会がある。

 7月「山下清展~百年目の大回想」。もしかしたらドラマが山下画伯との最初の出会いだったかもしれないが、彼の作品も風貌も幼いころには知っていた。すでに、おじさんだった。生誕100年だから自分との年齢差を考えれば当然だが、おじさんにも子供時代や若者時代があったわけで。この展覧会はタイトルのとおり、その歩みを回想するように人生の歩みにそって作品を鑑賞するものだった。生きることは描くこと、ストレートに伝わってきた。

 作品に添えられるように、彼の言葉が紹介されていた。子供のころのそれは、虫の足はこうだったとか見たものへの発見で、そのまま描写につながっていた。俳人の眼に通じ興味深かった。名言と称される「爆弾なんか作らないできれいな花火ばかり作ったら、きっと戦争なんか起きなかったんだな」も、彼の眼の発見なのだろう。大回想は、彼の眼に、心に、自分を重ねる歩みだった。


 10月「生誕120年棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ」。120年?! 幼いころメディアで目にした棟方志功は、すでに、おじさんをこえ老年にさしかかっていたのか。画面越しにでもエネルギーが感じられたし、一心不乱に板にむかう映像は「凄っ」と思うほかないほど衝撃だった。展覧会では、縁のあった地域を軸に数々の作品が紹介され、世界のムナカタが作られていく過程をさぐる企画になっていた。次々あらわれる「凄っ」な作品群に圧倒されっぱなし。阿佐ヶ谷に住んでいた縁で阿佐ヶ谷姉妹がイヤホンガイドに登場。友人おばちゃんが隣から話しかけてくる感覚で、圧倒感の中の小休止として楽しめた。

 民藝との関りや、まつわるアウトプットも紹介されていた。こんなお菓子のパッケージあったかも…昔の記憶がうっすらよみがえる中、はっきりとピントがあったものがひとつ。本の装丁である。見たこと絶対ある!どこにあったのかは解らないけれど、その本棚の映像は明瞭だ。メイキング・オブ・ワタシのワンシーンである。

 この棟方展、他の平日美術館訪問と圧倒的に違うことがあった。おじさん多い! 

 山下清、棟方志功。没頭しない芸術家などいないだろうが、没頭ビジブル型を代表する二人である。マスの中にいたら異質でヘンな人となるのかもしれないが、幼かった私は憧れをもっていたと思う。手が届かないことを本能的に感じていたからだ。没頭ほどピュアなものはない。

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