2022年5月の始末

 2022年初夏のある日、母が彼岸に渡った。1年ほど前からガクンと弱ったものの、自宅で暮らし、トイレも風呂も最後まで自力、その朝さらりとポックリをやってのけた。齢94、天寿を全う。何かと人に世話をやかれる姫タイプであったが、最期の始末は潔く我が親ながら天晴である。

 二世帯同居の兄から連絡を受け、狼狽と平静がぐるぐる全身を巡ったが、やがて気持ちと涙を鎮め、実家に戻る準備にとりかかった。

 直近の仕事や約束事の整理と連絡、セレモニーと実家で過ごすための身支度、そして忘れてならないのが、1週間ほど家をあけるための対応だ。植物の世話、ゴミの処理、新聞配達の休止、冷蔵庫の整理・・・あらら、前日収穫した野菜がたくさんあるではないか。いつもの帰省なら土産代わりに持参するが、そうもいかない。収穫したての野菜は日保ちもよく、そのまま冷蔵で平気とも思ったが、戻り予定が見えなかったので大半は冷凍することにする。洗って、刻んで、茹でて、すりおろして。黙々と野菜と向き合う時間は母との会話しているような不思議な感覚があった。

 実家で意義ある数日間をすごす。母が描き残した絵を眺める。遺品の整理はあらためて行うことにして自宅に戻る。冷凍保存しておいた春菊を始末の味噌汁にして、息をつく。母とそっくりな乳房と背中の丸みとともに、わたしの老年があるのだなぁ。整理がつくほどに、ライフワークという言葉がリアルになっていく。

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